写真で見る武豊港の歴史
輸送船(明治40年頃)
明治35年、コーリエ号(6,000トン)がライジングサン石油へ初めて石油を輸送してきた。この時、希望者には船内の見学が許された。写真は、明治40年頃のもので、沖の係船艀標に船をつなぎ、油送パイプによって石油タンクへ石油を移した。
武豊港と碇泊する汽船(大正3年頃)
写真は大正3年頃、大戦景気の汽船でにぎわう武豊港。
大正期の武豊港(大正12年頃)
武豊港突堤先端燈台より見た市街の一部。
東大高上空より北方を望む(昭和20年頃)
眼下に大足の町並み、堀田稲荷、豊石神社の森、武豊港、そして沢田新田から、半田市の海岸と、衣浦臨海工業地帯造成前の姿を見ることができる。
武豊港だんべ船荷おろし作業(昭和30年頃)
衣浦港統合前の武豊港で、だんべ船から砂利をおろしているのどかな風景。
武豊港しゅんせつ工事(昭和34年頃)
昭和30年に武豊港等の6ヶ年改修計画が認可され、その後衣浦港となり、それにともない昭和34年県による埋め立て工事が開始された。
臨海工業用地造成(昭和40年代前半)
布土上空より臨海部を望む。昭和40年代前半の造成中の1、3、5号地の様子である。手前に中部電力が、海岸線に沿って国道247号線がみえる。
臨海造成地に進出した工場群(昭和50年代半ば)
5号地に立地した東海カーボン、台糖ファイザー、日本ルーブリゾールの各社。
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