写真で見る武豊港の歴史

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ページ番号1002364  更新日 2022年10月21日

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輸送船(明治40年頃)

写真:コーリエ号


明治35年、コーリエ号(6,000トン)がライジングサン石油へ初めて石油を輸送してきた。この時、希望者には船内の見学が許された。写真は、明治40年頃のもので、沖の係船艀標に船をつなぎ、油送パイプによって石油タンクへ石油を移した。

武豊港と碇泊する汽船(大正3年頃)

写真:大戦景気の汽船でにぎわう武豊港の様子


写真は大正3年頃、大戦景気の汽船でにぎわう武豊港。

大正期の武豊港(大正12年頃)

写真:市街の一部の様子


武豊港突堤先端燈台より見た市街の一部。

東大高上空より北方を望む(昭和20年頃)

写真:衣浦臨海工業地帯造成前の様子


眼下に大足の町並み、堀田稲荷、豊石神社の森、武豊港、そして沢田新田から、半田市の海岸と、衣浦臨海工業地帯造成前の姿を見ることができる。

武豊港だんべ船荷おろし作業(昭和30年頃)

写真:だんべ船荷おろし作業の様子


衣浦港統合前の武豊港で、だんべ船から砂利をおろしているのどかな風景。

武豊港しゅんせつ工事(昭和34年頃)

写真:埋め立て工事の様子


昭和30年に武豊港等の6ヶ年改修計画が認可され、その後衣浦港となり、それにともない昭和34年県による埋め立て工事が開始された。

臨海工業用地造成(昭和40年代前半)

写真:造成中の1、3、5号地の様子


布土上空より臨海部を望む。昭和40年代前半の造成中の1、3、5号地の様子である。手前に中部電力が、海岸線に沿って国道247号線がみえる。

臨海造成地に進出した工場群(昭和50年代半ば)

写真:臨海造成地に進出した工場群


5号地に立地した東海カーボン、台糖ファイザー、日本ルーブリゾールの各社。

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